はじめに

既に過去になりつつありますが、NHKの人気番組クローズアップ現代で「岐路に立つお寺 ~問われる宗教の役割~」201131日)が放送されました

 

この知恵ノートは放送内容やその他の資料などを基に私の思いを綴ったものです。

 

仏教寺院に忍び寄る廃寺の二文字

宗旨宗派に関わらず、寺と檀家との絆が薄れて、人口の都市部への流出とも相まって離壇が進み、高齢化が進む地方を中心に廃寺に至る寺院が増えています。

さらに、今後20年から30年後には少なくても3割から5割くらいは維持できなくなるだろうと見込まれています。

 

宗旨宗派に関係なく行われた住職に対するアンケートでも、「維持は困難」「維持できるか分らない」と回答した住職は約6割にのぼっているといいます。

アンケートでは、住職を子供に継がせたくないと考えている僧侶が4割もいるというから驚くほかはありません。

 

この番組で取り上げられた東京工業大学大学院准教授上田紀行さんの講演後の挙手によるアンケートによれば、仏教に対して良いイメージを持っている人は約9割ぐらいあるが、お寺さんに対して良いイメージを持っている人は約2割5分ぐらい、僧侶に至っては約1割ぐらいだったとのことでした。

 

人間関係が希薄になり、自殺者が後を絶たないことなどから、精神面で支えとなるような、悩める人達に寄り添う仏教、困っている人を救う仏教に対する期待が大きいのではないでしょうか。

 

現在の葬式のためだけにあるようなお寺や僧侶には絶望しているという仏教離れの現状が浮き彫りになっているように思えてなりません。

 

離壇はいつ頃から増えたのか

歴史的にみれば、仏教が西暦537年に伝来して以来、奈良・京都にみられるように民衆とともに発展してきましたが、江戸時代の寺請け制度によって、好むと好まないに関わらず誰もが寺院の檀家として登録させられ、葬儀や法事などもその寺により行われることになりましたので、寺には何の努力をせずともお布施などの財施が入ってくることになったことから、困難を乗り越えて教義を広め、生きている人達を精神面から支える真の法施が必要なくなってしまったことに長い間胡坐をかいてきたからに他ならないと思います。

 

辛口に申せば葬式仏教と揶揄される現状に至ったことは僧籍に在る者全体の責任であり、民心が離れてしまった原因もまたお寺と住職にあるように思います。

 

寺請け制度が廃止されて以降も、お寺や僧侶は旧体のまま無為に時を過ごしてきました。

 

今日では、葬儀の前に戒名によるお布施の額を示したり、法事の時のお布施を具体的に要求したりと、本来僧侶にあってはならない行為を平然と行ってきたのです。

本来、法施も財施であるお布施も見返りを求めない施しだったのではないでしょうか。

 

住職とその世襲制の諸問題

「門前の小僧習わぬ経を読む」ではありませんが、世襲制を続けてきたことで、お経は読めても、仏法が説けない、法話ができない、悩み苦しんでいる民衆を救うことができない、救おうと努めない僧侶が多過ぎるように思えてなりません。

 

その一方で、高級車を乗り回し、キャバレーやクラブで豪遊するなんてことを一部の僧侶だとしても繰り返していれば、民心は離れるに決まっています。

残念ながら、その道理すら理解していない、自浄作用が機能していないように思います。

 

「親に請われて仕方なく僧侶になった」「他に就職できなかった」など、きっかけは様々でしょうが、住職になったからには身を粉にして一生懸命に勤めていただかなくてはだめなんです。

お寺は住職だけのものではなく、それを経済面で支える檀家のものでもあるのです。

 

僧籍にある方に問いたい

仏教とは何なのか

仏道とは何なのか

僧侶とは

布教とは

法施とは・・・・・

 

釈迦、如来、菩薩、宗祖、開祖、高僧たちは、葬式仏教に明け暮れて、葬式ビジネスに対して無気力で、追随するような行動を取る僧侶たちの現状をどう思われているのでしょうか。

私には嘆いているに違いないと思えてならないのです。

 

生きている人々が、葬儀を出すための費用、お布施、戒名代、多額の割当寄付金、墓地の確保、墓石の建立などに苦悩していることが、釈迦、如来、菩薩、宗祖、開祖、高僧たちの教えであろうはずはありませんし、それは釈迦の教えにより困っている人々を救うという仏教の本義ではないと思います。

 

セレモニーホールによる葬儀が増えるに従って通夜や葬儀が華美になり、それとともに一部ではありますが布施が吊上っている、香典の返礼品や通夜振舞いの費用が嵩んでいるなどから、家族葬や直葬などを選択せざるを得ないのが実態ではないかと思うてなりません。

 

仏教に良いイメージを持っている人々が9割もいるのに、寺によいイメージを持っている人が2割5分、僧侶によいイメージを持っている人がたったの1割しかいないという状況はなにを物語っているのでしょうか。

 

僧侶が、寺が、長い間の誤りに気付いて、仏教の本義に立ち戻れば、信頼は必ず戻ってきます。

仏教に良いイメージを持っている9割の人々は仏像の前で自然と手を合わせるということからも、仏教に帰依する心は持っていると思います。

 

多くの民衆が、複雑な社会構造の狭間で精神的に苦しんでいる、経済的に苦しんでいる。

こんな今こそ猛省して仏道を貫いていただきたいのです

 

daibutu-nara2640.jpg

                                  Credit:Photo by (c)Tomo.Yun

原点に立ち返ろうと動き出した僧侶たち

まだまだその動きは小さいのですが、これではいけないと気付かれた僧侶たちが、街中で寺院で気軽に仏教に触れ合うことができるカフェ、気軽に悩みを相談できる場所の提供と奉仕を宗派内だけに止まらず宗派を超えて取り組み出しています。

 

気付くのが遅かった感はありますが、遅過ぎたということではなく、これからの取組み次第で民心を取り戻すことができるし、それが僧籍にある者の務めではないでしょうか。

 

宗旨宗派が同じ、檀家の数がほぼ同じ、住職の年代もほぼ同じ、お寺さんの規模もほぼ同じなのに、一方のお寺さんはいつも檀家さんで賑やかで檀家も少しずつ増えているのに、今一方のお寺さんは行事を行っても人が集まらないし離壇が止まらない。

 

その違いは、住職やその家族の人間としての魅力、法話が上手い・深い・話術も上手、本堂や庭などを進んで掃除したくなるし、喜んで喜捨したくなるような感謝の気持ちが湧いてくるなど、生きている私たちに寄り添っているかどうかではないでしょうか。

 

世襲制がだめだということいっているのではなく、世襲制に胡坐をかいていたり、後継ぎがいないので仕方なく住職をやっているような努力をしない住職がお寺を駄目にしているのです。

 

2代目でも3代目でも、先代を凌ぐ素晴らしい資質を持った住職はたくさんおられます。

やる気がなく何ごとにも消極的な住職は寺を去って、意欲のある魅力的な住職に交代してほしいのです。

 

本山の宗務担当者には、そんな魅力を備えた僧侶を教育担当者に積極的に登用して、葬式仏教から脱却するための根本的な改革を推進して行く取組みを期待しています。

 

華美な葬儀や高級墓石が仏教には必要なのか

家制度の崩壊によって、次男三男が自由に分家できるようになったことから一族の墓地に埋葬されず、それぞれが墓地を求めざるを得なくなり圧倒的に墓地が不足しました。

 

お寺さんの一部には墓地を開発して霊園経営に乗り出そうと多額の借金をした挙句、事業に失敗して事実上倒産する寺があちこちに見られます。

 

葬儀場や石材店に主導権を握られた葬式ビジネスに追随して何とか儲けようと画策しても、原点を見失っている限り、民心が寺に戻ってくることはありません。

 

葬儀社と結託して、お布施や戒名料の一部を紹介料などの名目でリベートを渡すような僧侶では駄目なんです。

 

葬儀にあたって、葬儀社の支払いが150万円、僧侶へのお布施と戒名代で150万円、墓地を求め墓石を建立するのに200万円など、葬儀費用に500万円以上も掛かるようになって、家族の死により遺族の経済的な負担が莫大となり、その捻出のために苦しんでいるのが原状です。

 

仏教の存在価値は、生きている人々の苦悩を取り去り、人間らしく明るく幸せに生きさせるために、釈迦・如来・菩薩や高僧たちの「人を救う教え」を伝え広めることではありませんか。

 

大きな斎場で金を掛けた派手な葬儀を行い、院居士の立派な戒名をお金で授かり、最高級の輸入墓石を使って立派なお墓を建立しても、供養の心がなければ、仏様の教えを守らなければ、ただの見栄でありただの物欲を満たしただけに過ぎません。

 

「お金が無くて十分なお布施は差し上げられないけれども、菩提寺の住職に葬儀をお願いしたい。」と檀家さんから相談されたら、どのようにお答えになるでしょうか。

お金がなくて立派な葬儀でなくても、仏教に帰依して、仏様の弟子として旅立ちたい、見送ってもらいたいと多くの人々は望んでいるのです

 

それを踏みにじるような言動や行為が繰り返されてきた結果、家族葬や直葬にしたり樹木葬や散骨を希望する人が右肩上がりに増え続けている仏教離れの現状は、家族へ負担をかけたくないという親心であり親の愛情です。

それを願う親たちは、仏教の教えを貫いているように私には思えます。

 

今後20年から30年で寺が維持できなくなるといわれてから既に数年が経過しています。

これは団塊の世代がこの世を去っていく年齢とほぼ一緒であり、その後の檀那寺と檀家の関係は加速しながら崩壊の道を進んで行くと考えざるを得ません。

 

僧籍に在る者は

僧籍に在る者は、今こそ身を粉にして仏法のために働こうとする強い信念、民心を再び取り戻すためになにをなすべきかという徹底した検証、本山で各宗務に携わっている僧侶に求められる指導力で宗門内の隅々まで徹底的に検証して、僧侶としての力量が不足している者を再教育し、駄目なら住職を解いたり、地域に拠点となる充実したお寺を作りその他は統廃合を進めるなど、今こそ大きなメスを入れて大手術しなければ仏教の存在価値さえ見失ってしまうのではないでしょうか。

 

児童生徒が減った学校は統廃合、患者が減った医院は統廃合、商店やスーパーも統廃合しなければ残ることはできないのです。

人口が減ったために売上げ収入が減ったからといって、300円のものは500円では売れないと同様に、檀家が減り葬儀や法事が減ったからと高額なお布施や割当寄付を求めれば、檀家は離れるのは明らかなんです。

それをしっかりと受け止めなければ、伝統仏教を後世に伝えることはできません。

 

徹底的に検証した結果、お寺の数が減ったとしても、信者の数が減ったとしても、そこを出発点にして、仏教に良いイメージを持っている9割の民心をしっかり掴むことができれば、帰依したいと希望する方は増えていくだろうし、何といっても大切な信頼関係が取り戻せるのではないでしょうか。私はそう信じたいのです。

 

各宗旨宗派とも横道に逸れ衰退しかけた時には高僧が現れて再び力強く活動をはじめたという歴史を思い起こしていただきたいと思います。

 

求められるのは、現代の中興の祖

墓地の広さや高額な墓石や仏壇などを競うような物欲にまみれた現状をどう見るべきでしょうか。

墓石の切り出しは、日本の、中国の、インドの、南アフリカの、スウェーデンの、ノルウェーの自然環境や景観を破壊し、仏壇は森林を破壊している現状をどう見るのでしょうか。

 

日ごろの生活を切り詰めながら、法要の折には精一杯のお気持ちを喜捨しようとする檀家に、そのお布施ではできない」と平然という僧侶に対して、同じ僧籍に在る身としてどう思われるのでしょうか。

 

現実から目を逸らさずに、逃げずに、真摯に向きあって、前を向いて一歩ずつでも歩んでいただきたいのです。

 

金もあり、財産もあり、名誉や地位も得て、妻子ある者は、それらによって苦しみ、それらの無いものは、それらを求めて悩み苦しんでいるのです。

 

無ければ欲しい、あればあったでもっと欲しい、欲しい欲しいと飢え続け、恨み続けて満足ということを知らずに苦しんでいる欲望に飢えた餓鬼が溢れています。

 

ようやく不況から脱しつつあるとはいえ、経済的に余裕のある家庭はほとんどないでしょうし年金生活者はその引き下げや消費増税などが重くのしかかっています。

それなのに「お布施を出せ」「寄付を出せ」と言われたら、檀家をやめたいと考えて当然です。

お布施は感謝の心から喜捨させていただくものであって、強要するものであってはなりませんし、寄付金もまたしかりです。

 

餓鬼道に苦しでいる衆生を救うべき僧籍にあるものが、「お布施を出せ」「寄付を寄こせ」という姿は餓鬼そのものではありませんか?

 

仏教に対して良いイメージを持っている約9割の民心があるのですから、仏教の本義に立ち戻ればお寺さんも僧籍にある方たちも信頼を取り戻せる思うのです。

薬師寺や唐招提寺などにお参りした後は実に爽やかですし、法話を聞く修学旅行の生徒たちの目は生き生きと輝いています。

その輝く目を菩提寺にお参りした時にも同じように味わってほしいのです。

 

僧侶の鑑

先日、このようなお話がありました。

遠く離れた地方に、子供と2人でお住まいのパート勤務の女性です。

都内で生活保護を受けながら生活していた高齢のお母さんがお亡くなりになり、自分たちもやっと生活している状態のために「福祉葬」として行ったそうです。

 

僧侶にお経をお願いすることもなく戒名もないまま火葬し、遺骨はタンスの上に安置し間もなく四十九日を迎えます。

 

戒名は高額と聞いているので無理としても、せめて僧侶にお経を唱えていただきたいと思い、近くのお寺さんに経過を話して相談されたそうです。

 

ご住職から、

「俗名のままでよろしければ本堂でお母さんとお子さんだけの四十九日法要をいたしませんか、よろしければ私がご本尊の前でお勤めさせていただきます。」とお話があったとのことで、その場合お布施の金額はいかほどかというお話でした。

 

私は、

「俗名で四十九日法要をしていただけ、檀家になることを条件としないとは大変良心的なお寺さんのように感じます。

お布施は、法要の読経や法話などお寺さんの法施に感謝して、ご本尊に精一杯の喜捨をする財施です。
最近では、「お布施として10万円お包みください」なんて僧侶にあるまじき住職もいますが、事情をご理解いただいているようですので、あなたの精一杯のお気持ちの「御布施」として3万円と、本堂やお香などを使わせていただく御礼として「御香料」5千円を別にお包みされたらよろしいかと思います。」とアドバイスしました。

 

それから10日ほどして、

当日、お布施を3万円とご香料5千円を持って行ったところ香料のみいただきます」とおっしゃりお布施に関してはお気持ちだけでとのことで受け取って下さいませんでした。

 

私の経済状況を察して下さったようです。
「その代わり百ヶ日も来て下さい」とまで言って頂きました。本当に良心的なお寺さんでした。

無事に四十九日法要を行うことができ、母も感謝していることと思います。

と連絡をいただきました。

 

私は、このように相手の身になってお勤めいただける立派な僧侶もおいでになるのだなぁと感動いたしました。

これこそが、み仏にお仕えする僧侶の鑑ではないでしょうか。

 

終わりに

さて、ここまで書き進んできましたが、僧籍に在る方のお怒りに触れるような内容の数々、仏教の本義や仏道に関する記載内容などに私の理解不足からくる誤記や表記がたくさんあろうかと思います。

失礼の段は謹んでお詫び申し上げます。                            合 掌

 

ご賛同いただけましたら、ナイスボタンをポチッとしていただくと励みになりますのでよろしくお願いします。  

                                           yakushiji640.jpg                                               edit:Photo by (c)Tomo.Yun

このノートのライターが設定した関連知恵ノート

  • 訃報が届いたら ~宗教宗派により異なる通夜および葬儀・告別式における会葬者のマナーと作法~
  • 四十九日法要の香典は「御霊前」それとも「御佛前」
  • 喪主として初めての葬儀
  • 施主として初めての四十九日忌明け法要
  • 「享年」と「行年」